今日という日

日常生活の中で感じたこと、気づきを書きます。

激動の年末年始の記録

ブログ173日目

 

こんばんは

久しぶりの更新です。

やっと色々と自分の周りも落ち着いてきたので、書こうと思いました。

今年の年末を記録しようと思います。

 

12月29日にインドバンガロールから成田空港に帰国

この日はインドのバンガロール空港からデリー空港を経由して成田に帰るという感じだった。バンガロールの泊まっていた場所を9時くらいに出て、空港に向かった。

前日の夜から喉に異変がありあまり寝ることが出来なかったので不安ではあった。

バンガロール空港についた時点でだいぶ喉は痛かったが、声は出ていた。

一緒に行った人にのど飴をもらって何とか、日本まで乗り切ろうと思っていた。

インドのデリー空港はまるで雲の中にいるかのようだと思うくらい大気が汚染されていてインド人の方たちも飛行機から降りる時一斉にマスクをつけたのでいかに汚いかが伝わり自分もマスクをつけた。

この大気で喉がさらに悪化した。

 

デリー空港で一緒にインドに行った人たちは、お土産や帰りの飛行機で食べるお菓子などを買ってルピーを使い切ろうとしていた。一方の自分はというとこの時点で全く声がでず、意思疎通が出来ないことが本当に悔しかった。

デリー空港には日本にもあるようなマクドナルドやケンタッキー、ドミノピザなどがあり全部試してみたかった←本心は

この時、声が出ない私の代わりに

「なんで僕がしないといけないんですか」という感じで嫌々注文などをしてくれた人がいたのだが上手くコミュニケーションが取れず

インドのケンタッキーの「オリジナルフライ」

を頼み心の中でオリジナルチキンが出てくると思って待っていたら、インドの店員にお前の頼んだのはこれだろうと呼ばれて出てきたのが

‟これ"↓

本当に目が点になった。

オリジナルフライてポテトフライのこと―はぁああああああああ!

インドの店員さんにも茫然としている様子を笑われ

仕方ないので2口くらいでたいらげた。

 

あまりにも悔しかったので何とかジェスチャーなどで表現しようと

ケンタッキーの横にあったマクドナルドで注文を試みた

「ち........ず........ぽて.........とプり........すぅ

&バーガープり........すぅ」

注:プり すぅ=please

声を枯れ枯れにして注文。そうして来たのが"これ”↓

この商品をもらえた時、店員に思わず「Thank you」

心の中では

「やったああああああああああああああああああああああ!」

 

お腹もぎゅるぎゅるなっているから一口目から大きめに食べる。

「辛い辛い辛い辛い 唇痛い」

ベロが焼き切れそうなくらい、辛くて涙目になり

思わず水を飲みたくなるも、水を買っておらず我慢して食べ勧めることに。。。。

さきほどで書いた、嫌々ながら僕の代わりに注文してくれた人が戻ってきたので「すいませんが水買ってきてくれない?」とお願いをして

何とか買ってきてくれて、水でバーガーとポテトを流し込んだ。

食べたあと、インドから日本に帰ったら正月で地元の友人と会うと思い

不思議なインドっぽいお菓子を購入。

インドっぽいって何?って今書きながら思っているけどその時の自分から見てデザインとかインドっぽいやつ。

そんなこんなで搭乗予定時刻になる。

今回のインド渡航は行きも帰りもAir Indea。このAir Indea が本当に時間にルーズ。

やっと日本に帰って喉の治療が出来ると思っていたけど、搭乗予定時刻が40分延びる。

この時インド時間夜10時40分ごろ。疲労のピークが心身ともに襲ってきて「頼むよー」と心の中でずっと言っていた記憶がある。

 

予定より40分ほど遅れて搭乗。

インドに来るときに全て見ることが出来なかった映画を何本か見ようと思っていたが体がだるすぎて寝ることにする。

飛行機内でも何度も咳き込みながら、何とか成田空港に到着する。

日本語を見た時、

やっと日本に帰ってこれたと安堵で涙が流れそうになった。

 

安堵も束の間

声が出ないこの状況で家まで帰らないといけないことに気づく。

一緒にインドに行った人とスカイライナーの券を購入し

ホームで待っていてなかなか来ないなーと思っていたらまさかの乗り遅れ!

 

自分の家に戻って実家に帰ろうと思っていたが、

声も出ないし乗り遅れとか時差ボケ等もろもろがあって実家に直帰することにした。

 

帰りの電車は年末年始で人だらけ

場所取りしているお兄さんのカバンをどけてもらい何とか座ることが出来た。

そのまま実家に到着して

インドで喉が痛くなったので何かの病気かと思い病院に行くと年末だったこともあり90人待ちで92番目 熱はなかったのでコロナ検査も無かった。

こうして12月29日が終了した。

 

~それから2日間 のどの痛みと疲労で寝込む~

 

迎えた1月1日 元旦

初詣に家族と行くことになり、

喉も治ったし私自身、行く気分になりノリノリで行くことにした。

毎年1月3日に初詣に行っていたのだが、

今年は親の実家に帰らなかったこともあり、1月1日に行った。

 

毎年初詣で行っている場所であり、元旦は人も多く海岸の駐車場に車を止めて歩いて参詣することになった。

元旦ということもあり神社の境内には多くの人がいた。

特に変わったこともなく、人が多すぎて半ば嫌になっていた。

初詣で人が多く来るので、神社の前には多くの店が立ち並んでおり

私は妹に頼まれていたポテトとかを買うために並んでいた。

 

あまりに寒く、列も長かったため私はばあちゃんに託して

先に海岸に止めてある車に戻る。

 

海岸駐車場の入り口に入った時ポケットの中のスマートフォンが振動する

自分のスマホはお休みモードにしているから鳴るの珍しいなと片手にポテトを持ちながらスマホをちらっと見た。地震速報だった。この時どうせいつもの震度1か2だろうと思っていた。

車に戻ってからぶわんぶわん車が地震によって振動する。びっくりして車から飛び出す。周りにいた人たちもただ事ではないように逃げているのを見てもう一度スマホ地震速報を確認する。

震度5 大津波警報

そう令和6年度能登半島沖地震だった。

 

海岸駐車場なのでもちろん目の前には海が広がっていたので

やばいっていう気持ちしか無かった。

幸い波がすぐには来なかったから、ばあちゃんを待ってから逃げることが出来た。

あまりの恐怖と緊迫感からそれまで出なかった声が出たのと同時に、常に揺れている感覚に陥った。

大津波警報と言うこともあり、道は大渋滞。

焦って赤信号が青信号に変わっていないのに飛び出すハイエースもいたのでこの時、本当にパニック状態だったことが分かる。

とにかく山へ高い所へ

途中あまりにのどが痛くてセブンイレブンによると客が殺到していて

おにぎりやらパンやら飲み物やら詰め込んでいた。

お茶2Lをなんとか買って実家とは違う方向の山側へ

 

そのまま満潮になり 津波警報が解除になるまで

集落で人や車が集まっている場所でとどまった。

 

津波警報が解除されてからは、実家に帰れた。

実家は断水ではあるものの電気は通っていたので少し安心して寝られた。

この日は多方面から連絡が入り、人と人とのつながりの大切さを感じた1日だった。

 

その後は夜中に震度4が来たりとあまりぐっすり寝れない日が何日か続いた。

 

この年末年始

インドと地震を経験していかに日本で普通の暮らしが出来ることがありがたいことか痛感した。

そして「絶対津波は来ない」なんてことはない!

 

本日もブログを読んでいただきありがとうございました。

最近では佐渡沖での地震などまだ余震が続いていますが、気をつけてすごしましょう。

今日に感謝。